読みもの
宮崎の小さな工務店と、ドイツの「パッシブハウス」との出会い

「建築でそこまでできるんだ!」という驚き
タナカホームが日本の住宅業界に先駆けて全棟で標準提案している「パッシブハウス」。その性能基準がどういうものであるかについては、前回のコラムでご紹介してきましたが、今回は、なぜ、宮崎の小さな工務店が、ドイツで生まれた「パッシブハウス」と出会ったのか……その経緯についてお話しできたらと思います。
きっかけは父が導入した北海道・東北の工法で家づくりを進めていた2008年頃まで遡ります。日本のエネルギー自給率の低さへの危機感や、環境問題への課題感を感じていた私は、「家づくりを通じて社会的な課題を解決する方法はないだろうか?」と考え、世界中の建築関係の文献を読み漁っていました。そのとき知ったのが「ドイツには暖房器具をほぼ不要にできる、パッシブハウスという建築があるらしい……」ということ。「建築でそこまでできるんだ!」という新鮮な驚きがあったことを今でも鮮明に覚えています。
衝撃のドイツ視察とパッシブハウス
「パッシブハウス」に興味を持った私は、大きな可能性を感じるようになりました。当時、タナカホームで導入していた工法も、決して性能が低かったわけではありません。しかし、根本的な次元が違うことが、文献を読むだけでもひしひしと伝わってくるのです。学べば学ぶほど、「もっと知りたい」という気持ちが大きくなっていきました。
「これはもう、ドイツに行くしかない!」。そう決意して、2009年、ドイツへ視察へ赴きました。ドイツでは、実際に建てられ、人が暮らしている「パッシブハウス」を見学したり、日本では読めない貴重な資料を読んだりと、充実した時間を過ごすことができました。
同じ年、さらに大きな事件が起きます。後に設立されるパッシブハウスジャパンで出会い、モデルハウスのデザイン・監修を依頼することになる、森みわさん(キーアーキテクツ株式会社/代表取締役パッシブハウスジャパン代表理事)が、鎌倉で手掛けた日本初のパッシブハウス「鎌倉パッシブハウス」を建てたのです。
彼女が実現したのは、暖房器具をほとんど必要としない住まい。昨今、住宅業界でよく目にするようになったZEH基準などを遥かに凌駕する気密性、断熱性を持った超高性能住宅でした。

(KEY ARCHITECTS提供)

(KEY ARCHITECTS提供)
森みわさんが建てた家は、日本の住宅業界、建築業界を震撼させました。「日本では無理だ」「あり得ない」と思われていた水準の断熱素材や技術を盛り込むことによって、暖房そのものを不要にする……つまり、それまで「建築と暖房は別のもの」とされてきた業界の考え方を、根本から覆したのです。
私自身、「ドイツでできるなら、日本でもできるはずだ」という想いがありましたが、この出来事を目の当たりにして、「パッシブハウス」への興味はますます強いものになりました。
タナカホームの底上げに徹する
ドイツ視察翌年の2010年、日本における「パッシブハウス」を取り巻く状況が大きく変わりました。森みわさんの鎌倉パッシブハウスをきっかけに、「パッシブハウス」の普及を推進するパッシブハウスジャパンが設立されたのです。
この機運に乗りたい気持ちも大いにありましたが、タナカホームは当時、年間60棟以上を手がけるまでに成長していました。やるからには商品の一例ではなく、全棟で「パッシブハウス」を標準化したい。しかし、抱えている棟数から考えても、今ある技術から考えても、当面は難しい……そう感じた私は、パッシブハウスジャパン入会を見送り、独自に研究開発を進めながら、タナカホームの建築レベルの底上げに徹することにしました。
独自工法「MeTAS」の完成。全国でも類を見ない「パッシブハウス工務店」へ
その後の試行錯誤はまた別のコラムで詳しく書いていきますが、断熱材や測定方法の根本的な見直し、特許の取得、行政における建築許可のルール改正など、大手ハウスメーカーでもやらないような挑戦的な試みを重ね、宮崎に最適化した「パッシブハウス」を現実的な価格で実現する独自工法「MeTAS(ミタス)」を完成させ、当初の目標だった「パッシブハウス全棟標準化」が目前になってきました。
「パッシブハウス」を選んでくれたお客さまとともに
現在、タナカホームは、「パッシブハウス」を量産化した全国でも類を見ない工務店として注目を集め、全国から住宅・建築関係者が視察に訪れるようになっています。
「パッシブハウス」について知りたくても、日本では文献を読み漁るしかなく、いても立ってもいられずにドイツに赴いたあの頃を振り返ると、日本の「パッシブハウス」を取り巻く環境に対して、少しは貢献できたかな……と思ったりもしています。
でも、何よりも嬉しいのは、宮崎で暮らすお客さまたちが、タナカホームが目指した「パッシブハウス」の考え方に共感していただき、地域に「パッシブハウス」が増えていくこと。「パッシブハウス」を選んでくれたお客さまと、「パッシブハウス」をつくる私たちとが一丸になって、宮崎から、日本を取り巻く社会課題に向き合えている状況を誇りに感じています。