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世界水準って、こんなに気持ちいい。
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読みもの

タナカホームが全うする、真っ当ではない家づくりの道

「タナカホーム」の原点

宮崎県都城市を拠点に家づくりを手がける私たちタナカホーム。その始まりは現在の社長である私の祖父が大工を志し、タナカホームの前身である田中工務店を創業したところからでした。

何のつてもないゼロからの起業でしたが、腕がよかった祖父は徐々に地元での基盤を築き上げていきます。しかし、よく言えば豪快で、悪く言えばお人好しだったため、割に合わない仕事もどんどん引き受けてしまい、多額の負債を残して51歳の若さで他界してしまいました。

建設会社で修行をしていた私の父がその後を継いだのは1982年、若干27歳の時。経営者としてはまだ若く、周囲からの信頼を得るのにも苦労をしていた父でしたが、祖父が残した負債を着実に返済しながら、技術面、経営面で必死に勉強を重ね、注文住宅事業を広げていきます。その丁寧な仕事ぶりは地域でも一目置かれる存在になり、多いときには年間80棟という驚異的な棟数の注文住宅を手がけるまでに会社を成長させました。

「この地にないものを持ち込む」という精神

祖父の個人事業として出発した田中工務店が、1990年代にタナカホームという企業へと発展する中で、大切にしてきたある強い想いがありました。

それは、「この地にないものを持ち込む」という精神。宮崎で一般的に用いられていた技術をそのまま使うのではなく、日本全国に目を向けてさまざまな住宅工法を学び、その中から東北や北海道の厳しい環境で用いられている高気密・高断熱の技術を取り入れていきました。

「宮崎という比較的温暖な地域でそこまでする必要があるのか?」と考えるのが真っ当なのかも知れません。しかし、私たちはそんな「真っ当」に対して常に疑問を持ち、自らの意志で研究を重ねながら、宮崎で暮らす人たちにとって、本当にメリットがある技術、日々の生活を心地よくできる家づくりを取り入れてきました。

お客さまを悩ませない性能。それが家づくりを自由にする

お客さまは家づくりのプロではありません。ほとんどの場合、一生に一度しか家づくりを経験することがないんです。だから、求めていることを的確に言葉にすることは本当に難しいですし、正解がわからない状態で家づくりに臨みます。

特に性能面の話は目には見えにくいのにネットに情報があふれていて、いくら調べてもきりがない。住宅会社も複雑な数字を見せながらいろいろなことを語ります。こうした状況の中で、「これでいいのだろうか?」「失敗はしたくない……」という不安を抱きながら、家づくりを考えている方も多いのではないでしょうか。

私たちタナカホームは、お客さまの性能面の不安に対してあれこれとご要望を聞いたり、細かい数字の違いをアピールするのではなく、シンプルに「これで間違いありません!」と、胸を張って言えるものを追及し、自ら研究開発してきた会社です。

ただ、こうした性能面の追及も、あくまでも「手段」のひとつでしかありません。本当の目的は、性能面で悩む時間をなくして、もっと家づくりと、その先の暮らしを、もっと自由に満喫してもらうことなんです。

そのために辿り着いたのが、ドイツ生まれの「パッシブハウス」でした。日本で推進されている省エネ住宅を遥かに上回る性能基準を満たさなければ認定されない規格に挑み、「日本では過剰性能じゃないのか」「費用がいくらあっても足らない」「日本の法律とマッチしない」と言われ、挑戦する住宅会社がほとんどなかった状況を変え、全国で非常識とされていたパッシブハウスを、宮崎県の常識にしようとしているのが私たちタナカホームなんです。




このコラムでは、正に「真っ当ではない家づくりを全うしている」私たちの挑戦を、いろいろな角度からご紹介していこうと思います。性能のこと、デザインのこと、暮らしのこと、地域のこと……あなたの家づくりを、もっと自由で楽しいものに変えるお話を、たくさん発信していきますので、どうぞご期待ください。